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第4話 あの日、振り返らなかった

last update Date de publication: 2026-07-02 22:44:33

テーブルに置いていた手を突然握られて、イアンは肩を上下させた。

「騎士の誓い、は今では寂れた風習よ。だからこそ、騎士の誓いをこの時代にする場合、本気度が違うわ」

 ──母上が真っ直ぐに自分を見つめている。イアンはコクリと力強く頷いた。

「僕は本気なので」

「えぇ、そうね。本気でしょうね。イアンの目を見れば分かるわ」

「でもね」とジェシカは続けた。

「実力が伴っていなければ、するべきではないわ。嘘になってしまう。簡単に破れてしまう約束はしては駄目」

(僕はまだ弱い)

 貴族の子供に身体を押されて簡単によろけて尻餅をついてしまうような僕だ。

 己の弱さに辛くなってイアンは目を伏せる。隣のロイドが心配そうにしてイアンの背中を優しく摩った。

 イアンは視線だけをロイドに向けると目が合った。その瞬間、ロイドの微笑みを見て、本気で彼の為に強くなろう、と思った。

 暫くそうして顔を見つめ合っていると、握られている指に力が入ってイアンは顔を上げた。チラッと視線を横にすると兄上も同じようにジェシカから手を握られていた。

「二人とも――私と約束をして欲しいの。これから先、本当に愛する人ができたなら、愛し守り抜くの。手放しては駄目。後悔しない愛し方をなさい。その為に強くなりなさい。身体を鍛えるだけでは駄目、精神も鍛えるの。死ぬ気で愛しなさい、死ぬ気で守りなさい」

 握られた手に痛みはあったものの「痛い」とは言えず我慢する為にイアンは下唇を噛んだ。痛いよ、と言えるような空気ではなかった。ジェシカの碧い瞳からは先程まであった恋しさと寂しさは消え去っていて底が見えない海のようだ。背筋に小刻みの波のような寒さが襲う。ジェシカが今から発する言葉に否定の言葉を発すれば殺されてしまうのではないか、というような雰囲気――実際、そうだった。

「その愛が生半可な気持ちなくせに愛を誓ったの。愛する度胸も守り抜く自信がないくせに。国の為を思い一緒になるべきではないと御託を並べ、身を引いた、ですって。そんなの私わたくしから言わせれば逃げたのよ。本当に愛しているなら全てを敵に回して相手に戦争をけしかけたはずだわ。国の為、貴女の為、ですって? ふざけないで。あの子の気持ちを踏み躙り、傷つけた。あの子が欲しかった言葉をあ・の・男・は間違えた。選択を間違えたから、私わたくしの大事な半・身・はここに居ないのよ」

 イアンは自分の母親の事を言っているのかと思ったが、自分の母親は庶民だ。庶民が相手で国同士の戦争になるもんか。それにパン屋の娘が『半身』になれるわけがない。

 ジェシカの瞳がどこか遠くを見ている。二人を瞳に映してはいなかった。

「この国の男は愛する女を簡単に手放してしまう。本当に頼りない男ばかりだわ」

 周りの騎士達の表情も何か含んだような、表情だった。誰も声を発さず、ただ王妃を見守っているだけだ。

 その時、ジェシカの瞳に誰が映っているのか、イアンは振り返って確認をしなかった。王妃の視線の先に誰が居るのか──その時、振り返らなかったことを、イアンはこの先長く後悔することになる。

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